世渡り下手の人生

なんでもない日記です

10年以上前の思い出


先日、過去最も印象に残っている思い出という話の時に出した「福島での空手合宿」の記憶が大分戻ってきたので書き起こそうと思う。

私が空手を習い始めたのは今から20年前、小学校に丁度上がる頃の事だった。
当時はいつもメソメソ、何かある度にメソメソメソメソ・・・・。
ある日、「お出かけしよう!」と車で連れ出された。到着した場所は道場。
気が付いたら道着に着替えさせられて、体験で稽古に参加していた。
父が私を強くする為にとの事。流石は元陸上自衛隊員、娘にも容赦ない(´・ω・‘)


福島の空手合宿に参加したのは小学6年生の時。
合宿自体は毎年あったのだけれども、福島はこの1回だけだった。

朝6時、道場近くにある公園の駐車場に集合した。用意されていた大型のマイクロバスに乗車して出発。後は福島までトイレ休憩以外ひたすら走ると聞かされていた。
間で一番印象に残っているのは、峠みたいな所(後ろ崖)でバスがパンクした時かな。
バスのパンクってこんなにも揺れるんだ・・・シーソーみたいだったわ。


お昼は会津に突入して鶴ヶ城近くの公園にて。
その時に別のマイクロバスの人たちと合流した。今回一緒に合宿する子たちで、同じ流派の空手を習っているらしい。恐らく師範同士が交流あったんだと思う。

その後は、夏だったのもあって猪苗代湖で泳ぐ事に。
水着が持ち物に書かれていたのでプールかなにかが宿泊先にあるのかなーとか思ってたらまさかのね。ちなみに私は泳げません。辛かった(´・ω・‘)
陸に戻ると怒られるからね・・・・。

夕方頃にようやく宿泊施設に到着した。
そして夕飯前に稽古との事で、全員着替えて近くの運動場で筋トレと稽古。
夕飯後は花火大会、そして就寝。


二日目は朝5時からスタート。
全員道着で外に裸足で集合、そして稽古開始。
稽古を終えて朝食中に師範より「今日は会津磐梯山に登る」とのお達し。

登山を始めてすぐの頃、ふと両足を見るとどんどん腫れていっているのが分かった。
痛み、かゆみが酷くなっていたので師範に相談。既に両足は大きな水ぶくれが広範囲に渡って出来て、ケロイドの様な症状も出てきていた。
下山しろと言うのかと思いきや「それ位我慢できなくてどうする!!」と怒られた。
痛みよりも師範の方が子供ながらに怖くてね、もう何も言わなかった。
結局ブヨという虫に刺されてたらしい。すぐ毒抜きすれば軽傷で済んだものを・・・。

夜は肝試し大会。本物の山のふもとにある墓地を使って。
あの時は誰もなにも言えなかったんだけど何かいたんだよね。みんな合宿から帰宅するまで何も言わなかったけど。


最終日は朝から同じ部屋の子たちが喧嘩。
1年生がいう事聞かなくてイライラした3年生が突き飛ばしたとかなんとか。1年生が泣きながら出てっちゃって、6年の私が連れ戻しに行かなきゃー・・・って思ったらすぐ戻ってきた。6年の兄貴を連れて。
その後が大乱闘だったのは言うまでもない。その後師範から関わった人間全員殴られた。「武力を行使すんじゃねえ!!」って。殴ってるじゃ(ry
兄貴も年下の女の子と喧嘩するのはアカンがな。
その後兄貴と喧嘩した3年生をの間に座る形で朝食だったんだけど、子供ながらにご飯が喉を通らなかった。

後は帰宅しながら一応観光?課外学習?
野口秀雄記念会館とガラスアートギャラリーに行った。

www.noguchihideyo.or.jp



そう、あの私たちが日常とてもお世話になっている野口英世様だ。
私は彼がお札になる数年前に既に学習していたのである。予言?笑
建物とか手紙とか現存多いのが印象的だったなあ。

ガラスギャラリーでは風鈴を購入した。

www.world-glassware.com

ガラス館もう一回行きたいなあ。
当時は全然興味なかったけど、今だったらあれもこれも欲しくなりそう。


ちなみに当時宿泊していた国民宿舎も調べてみたのですが・・・。
・・・・・・・・・えっ・・・廃墟!?取り壊し!??

焼けてしまった廃宿、国民宿舎『五色沼』に潜入いたす。(下) | フラジールに蕩れ。


上記の方のブログの中で建物内が観られたのですが、ああ・・・椅子座って窓の外見てたな。部屋に付いてる洗面台で泥だらけの手を洗ったなとか思い出してしまった。
自分の知っている景色が廃れているのは悲しいですの(´・ω・‘)


何年たってもまたこういう風に思い返せるのだから、これはこれで良き思い出だったのかもなあ。二度と体験できないだろうし。
大人になると平凡ばかり求めちゃうからつまらんね。たまには刺激のある経験降ってこないかなあ・・・なんて 笑